黛 まどか Madoka Mayuzumi

俳人

思春期に受けた傷は、人生のかけがえのない宝と成り得る…

生きるとは「変化」を受け入れることだと言った哲学者がいる。転職、転居、病、老化、そして死…人生は変化に満ちている。たとえ理不尽であったとしても、私たちはそれらを受け入れながら人生を送らなければならない。折り合いをつけるのに必要なのは、自らの体験を通して得た知恵や、他者からのアドバイスとそれらを深く理解する能力だ。

とりわけ思春期は「変化」に溢れている。病や老化の代わりに心身が急激に成長し、心が過敏になる。この年頃の多くの子どもが、混沌とした心の裡を的確な言葉で表現できないことに苦しむ。私自身もそうだったが女子が男言葉を使うのもその表れの一つだと思う。大人の助言に素直になれないのも思春期の特徴だ。私が通っていた中学ではいじめや喧嘩が日常茶飯事だった。私自身もいじめられる側になったことも、いじめる側になったこともある。不良グループから呼び出された折の恐怖はやがて消えたが、一人の女の子をクラス全員で無視した折の自己嫌悪は"ほろ苦さ"となり、いつまでも消えることはなかった。部活などをやっていなかった私には降り積もる鬱屈を吐き出す術がなかった。そんな時に寄り添ってくれたのは、亡き祖父母が残した言葉だった。生前日常の折々に言っていた何気ない言葉が、温もりと共に私を支えた。格言のような上等なものではないが、厳しい時代を生きる中で身を持って獲得した知恵から滲み出た言葉だったのだろう。

一方であの"ほろ苦さ"こそ心の襞を増やし、後に俳句をはじめとする多くの出会いに導いてくれたと思っている。思春期に受けた傷は、人生のかけがえのない宝と成り得る。しかしそれは傷を癒し昇華させるよう導く受け皿あってのことだ。それは人であっても、スポーツや文芸・芸術などであってもよい。変化する身体や心に言葉が追いつかない思春期を自浄せしむる受け皿に出会うことが大切だ。思春期に煩悶した一人として、それとなく促し良い出会いに導いてあげられる大人でありたいと思っている。そして社会全体で彼等を見守ってゆく仕組みが必要だと思う。

(2013年11月)

Profile

2002年『京都の恋』で第2回山本健吉文学賞受賞。2010年4月より1年間、文化庁「文化交流使」としてパリを拠点に活動。現在「日本再 発見塾」呼びかけ人代表、京都橘大学客員教授などを務める。近著に、随筆『引き算の美学 もの言わぬ国の文化力』(毎日新聞社)、句集『てっぺんの星』(本阿弥書店)など。無料携帯メルマガを配信中。

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