髙城 寿雄 Toshio Takagi
株式会社タカギ 代表取締役
私は中学2年まで四国の新居浜市で育ちました。自然を相手に毎日伸び伸びとガキ大将をしていました。中学2年の終わりに九州の門司に帰ってきました。驚いたことに同級生は皆異性に対して意識し、いやがらせ等していました。高校に入り私自身大変シャイになり男性に対しても言いたいことが言えなくなりました。相談する相手も見つからずどうしたらよいか分からず困りました。それで度胸を付ける為次々と事件を起こしました。学校の先生から精神異常のレッテルをはられ、二度の無期謹慎の後、高校を退学になりました。しかたなく転校し、どうにか高校を卒業しましたが、その後20歳になるまでやけくその生活でした。19歳の時少年鑑別所に入れられて1ケ月、教官いわく「お前は正常だ。まともにやれ」と言われて気分を変え現在があります。これが私の思春期です。
私は、常に一人で戦って来ました。何か事件を起こす時も一人でした。なぜ一人かと言えば、人数が多いと誰かが口を割るからです。私の趣味は発明でした。中三の時、門司市の発明展で特選と天賞と人賞と佳作を取りました。賞品を受け取る時、リュックサックを持って行って貰って来ました。毎日新聞に私の記事が載りました。私は小学校の時より、工作が好きでした。工作を始めると、もう夢中でした。中学の時、発明展がある事を知り、夢中で夜も寝ないで作品を作って、出品しました。しかし勉強はほとんどしませんでした。 高校の成績も入学時230人中60番でしたが、退学の時は、225番でした。授業が、受験対策中心で、まったく面白くなかったので、一度も宿題をして行きませんでした。とにかく勉強が嫌いで、暇さえ有れば、発明品の試作をするか、バイクを分解したり組立てたり、乗り回していました。私の作った会社は大会社の下請けでしたが、会社を作って15年目に、オイルショックで倒産しました。それで下請けは、不景気に成ると仕事がなくなり、倒産すると考え、メーカーになる決心をしました。新製品を作って、もしヒットしてもすぐ物まねのコピー商品が出るだろうと考え、特許を取る事にしました。幸い、発明が趣味でしたので、うまく行き、今私の発明の特許は約180件有ります。一番売れている浄水器の特許製品は、一年間に140億円の売り上げがあります。人は何か長所があります。それを見つけて伸ばすと、人生に自信と希望が生まれます。皆さん、ガンバッて下さい。
(2015年6月)
Profile
21歳で職業訓練所修了、23歳で会社創業。知的財産法を学ぶために53歳で立教法学部入学、現在一橋大学国際企業戦略研究科博士課程在学中。「社会の発展に貢献する」という企業理念のもと、会社年商180億、社員1,000人の株式会社タカギの顔として、今も躍進を続けている。