田中 啓二 Keiji Tanaka

(公財)東京都医学総合研究所 理事長

読書のすすめ!

高名な画家や音楽家などの自伝を読むと、小さい頃から神童であったかのような煌きが随所にみられる。また一流の優れたスポーツ選手などは小さい時から飛び抜けた資質をもっていることが多いようである。彼らには天賦の才能があって、自然に豊かな未来が約束されているかのように思われがちである。しかし(私見であるが)これは錯覚であり、多分、事実とは異なるように思われる。実は才能に溢れた人間ほど、生涯をかけて努力を惜しまないものである。

少年期、私は落ちこぼれという訳ではなかったが、褒められた経験も乏しく、目立たない平凡な子供であった。貧しくて大好きな本も買って貰えず、月に数回やってくる移動図書館の本を片っ端から借りて貪り読んだ。読書以外には、可愛がっていた柴犬と野原を駆け巡ることが唯一の楽しみであった。このように一言でいえば、冴えない平凡な青春であった。中学、高校、そして大学に進んだが、読書だけは、日々欠かさなかった。経済的な事情から理系に進み、生命科学の研究者として約半世紀、努力することを信条として研究に邁進してきた結果、科学史の片隅に小さな軌跡を残せたかもしれないという程度の実績である。さて読書(様々なジャンルの乱読)が科学の仕事に役に立ったか否かは判然としないが、読書は私の人生を豊かにしてくれたことは確かなようである。実際、読書は知識の宝庫である。少年期の知の創出には、興味の赴くままに大好きなことに熱中することが大切であり、その一つに読書し続けることを強く勧めたい。

発達期の脳は柔らかく無限の包容力があるので、知識の詰め込み過ぎが害になることは全然ない。と同時に感受性が高く無垢な少年期の脳は、様々な刺激に上手く対応できず、時には混乱し傷つき健全性を失い易いという繊細な性質も併せ持っている。実際、豊穣な愛情が絶対的に必要な少年期に、そのような庇護が受けられずに深い翳りを背負って人生に挫折してしまうことも少なくないようである。「東京ティーンコホート研究」は、長い時間をかけて少年期の心の動きや振る舞いを調査する研究であり、様々なストレスに溢れた青春の折々を緻密に観察・記録・分析する学問であると側聞している。このような膨大な時間を要する地道な研究は、成長期の子供たちが抱える多くの悩みの解決にかけがえのないヒントと対処法を与えてくれるに違いない。殺伐とした文明社会の少年たちの心の解放に鋭く迫る「ティーンコホート研究」に期待したい。

(2018年12月)

Profile

徳島大学大学院博士課程中退後(1976年)、徳島大学酵素研究所助手、助教授を経て、1996年、東京都医学総合研究所(旧臨床研)分子腫瘍学研究部門部長に就任。この間、1981年から1983年まで米国ハーバード大学医学部へ留学。2002年からは同研究所の副所長、所長代行、所長を経て、2018年から理事長。朝日賞・日本学士院賞・慶應医学賞などを受賞。文化功労者。