1.リスクの低減と社会的包摂:
世界的な認知症予防の研究が社会に及ぼす影響

【演者紹介】

クラウディア・クーパー先生は、ユニヴァ―シティ・カレッジ・オブ・ロンドンの老年精神医学講座の教授です。クーパー先生は、2017年に出版された英国医学雑誌ランセット委員会の総説論文(Livingston et al., Lancet 2017)の著者でもあります。この論文の「リスク・リダクション(risk reduction)」というメッセージは、日本の政策にも強く影響を与えました。

現在、日本国内では認知症予防についての活発な議論がなされています。クーパー先生のご講演では、「リスク・リダクション」や「ソーシャル・インクルージョン(social inclusion, 社会的包摂)」について議論いただきました。

【講演の主要なメッセージ】

  1. 認知症は、心理社会的要因や生活習慣を変えることで、予防することが可能
  2. 認知症のリスクはひとりひとり違う
  3. 介入においても相手を感情、文脈、意志をもつ「人」として見る
  4. 認知症への恐れからではなく、前向きで、より良い健康への希望につなげる

【講演の抄録】

1)認知症は、心理社会的要因や生活習慣を変えることで、予防することが可能

認知症という疾患は、高齢化が進む私たちの社会において、社会的にも経済的にも、非常に大きな影響を与えています。そのため認知症は、21世紀における、健康および社会的に最も大きな課題と言われています。これまで世界的にも、薬理学的な介入、つまり薬を使って何とか認知症の問題を解決しようと、大きな金額の投資がなされてきました。薬の開発の努力は何十年も行われてきたけれども、現時点で、認知症の進行を遅らせる薬はまだ作られていません。こうして薬の開発に使われる巨額の投資と比較して、認知症を予防するための心理面や生活様式への介入には、非常に小さい額のお金しか扱われていないのです。

しかし、フィンランドなどの研究(Ngandu et al., Lancet 2015)で、心理面あるいは生活習慣への介入をすることで、認知症の人の認知機能の低下を遅らせることが可能であることが分かっています。ただ、心理面あるいは生活面での介入では、薬を飲んでもらうのとは違う難しさがあります。ご本人を説得して行動を変えてもらわなければならない。そして、その行動を変えた状態を維持してもらわなければならない。それは、価値のあることではあるけれども、なかなか難しい。

ランセットの総説論文の図では、人の生涯のそれぞれの時期における、認知症発症のリスクとなる様々な因子を示しています。各因子のパーセンテージは、これを変えることによって、認知症の発症割合をどのくらい変えられるのか、を示しています。遺伝的なリスクとしてよく知られているApoE4-Allieは7%です。それだけのパーセンテージしかない。自分がそういった遺伝子を持っていると、自分の親も認知症を発症したからと、心配してもの忘れ外来に来院する方が多くいます。でもランセット論文の図は、肯定的なメッセージを読み取ることもできます。確かに遺伝的な背景を持っている人は、認知症を発症するリスクは少し高いかもしれない。けれども、人生のこれからにおいて、他のリスク因子を変えることで、変えられる部分は大きい。心配になって外来に来る方には、こうした話をすることができます。

最近、英国や他の先進諸国で、認知症の発症数は過去に激増するであろうと言われていたほどには、増えていない。診断率は上昇していますが(Pham et al., Clin Epidemiol 2018)、それは認知症ケアにアクセスしようという、人々の意識が高まっているからです。過去の予測の通りには認知症が増えていない背景として、社会的な教育や啓発が行われた結果、例えば、中高年の高血圧に対する医療の向上や、身体活動のレベルの高まりによって、様々な認知症のリスク因子が減少してきたと思われます。

2)認知症のリスクはひとりひとり違う

この認知症予防のメッセージの良い点は、ここで言われている内容が、基本的に私たちの心身の健康をより良くするための行動と、一致していることです。ですから、認知症予防のために、何か特別なこと・違うことをやるのではない。ただ、人々にこれらが認知症予防と関連がある、やる意味があるのだと分かってもらうところには、かなり労力が必要です。

私たちは英国の国立衛生研究所(NIHR)の資金提供を受けてアップルツリー(APPLE-Tree)という5年間のプログラムを展開しています。大規模な試験を通じて、認知症予防のメッセージを人々に広く知らしめ、生活習慣を変えてもらうよう説得するものです。今日はプログラムの開始初期の結果を紹介します。

認知症のリスクは一人一人で違う、同じではない。認知症のスティグマが非常に強いため、認知症は誰にでも起こる可能性があるとか、リスクは誰も同じであるかのように言われがちです。だから認知症に対しては何もできない、どうすることもできない、となりがちです。しかし、最近の研究でそうではない、リスクは人によって違うことが分かっています。私たち以外の、UCLのグループが行った研究結果では、社会的、経済的に恵まれない立場にある人たちは認知症のリスクが2倍高くなっていました(Cadar et al., JAMA Psychiatry 2018)。私たちのグループの研究結果では、英国に住む白人と比べて、黒人では認知症を発症するリスクが高い(Pham et al., Clin Epidemiol 2018)。そして診断を受けるタイミングも遅れ、診断される割合が白人の53%に比べて42%と低い。受けるケアも質の良くないものになる傾向がある。そして治験や試験、つまり将来のケアの方向性を決める研究に参加する可能性も低かったのです。

介護者の立場で私たちの研究に参加した人たちの声でも、衝撃的なメッセージがあげられています。ご自身が黒人で、介護に従事し、ウィンドラッシュ世代(1950年代にカリブ海から英国へ移民した世代)の一人という立場から、これらの研究知見をみて、なぜ黒人の人たちが記憶の問題について助けを求めることを躊躇するのかを考えました。彼らは、自分たちが公平に扱ってもらえないのではないか、(自分の意志に関係なく)介護施設に入れられるのではないか、と心配しているのです。

3)介入においても相手を感情、文脈、意志をもつ「人」として見る

一番重要な点は、個人レベルで認知症の発症リスクの大きさを特定することはできないけれども、介入によって発症リスクを変えることは可能だという考え方です。とりわけ、若年性認知症を発症した例ではその家族も含め、どうしようもないという無力感がまん延している中で、でも手を打てる方法があるということは重要です。若年性認知症であっても、特定されているリスク因子は高齢で発生する認知症と同じで、介入できるものがたくさんあるのです。

アップルツリー・プログラムでは、認知症予防の介入法を策定するために、研究エビデンスを積み重ねてきました。認知症の発症予防や、認知機能障害の進行を送らせるための介入では、相手の生活を変えることへの動機づけ、チャンス、能力を個別に考えていかなければなりません。高齢者を対象に、いくつかのシンプルな質問をして、どのような介入であるべきかを検討しました。質的研究の解析で、介入に必要な要素を明らかにしました(Rapaport et al., BMC Geriatrics 2020)。

1 役割やアイデンティティ:
どんな介入であっても、その人が以前から持っていた生活、暮らしのスタイルに合った形での、行動の変化でなければいけない。ある地域のスポーツ・マネジャーは、その地域の高齢男性に、サッカーをやるように促しています。彼らは毎週、必ずサッカーをしにやって来ます。自分がチームのメンバーだという意識があり、チームに必要とされていると感じるからです。
2 社会的、経済的な文脈:
記憶障害をもっている人の話では、町に出れば毎晩、何か刺激的な活動をやっているのは分かっている。でも一晩出かけると30ポンドかかってしまう(だから刺激を得られて良いことと分かっていても出かけない)。こうした社会経済的な文脈が個人の行動の背景にあります。
3 適切な助言:
私たちが研究を始める前に予想していたよりも、当事者は具体的な良い助言を受けていない、という実態が分かりました。軽度認知機能障害をもつ人の話では、受診したときに診断名は言われたが、体重を減らした方が良い、もっと運動した方が良い、といったことは全然聞かされなかった。悪くなったら連絡してくださいとしか言われなかった。
4 感情・情緒を汲み取る:
やり方を伝えるだけでは、介入の作業は終わらない。記憶障害のある人に何か新しい提案をしても、その障害がなかった頃からやっていた活動でない限り、始めるのは難しい。運動教室に参加するよう言われたある女性の話では、車を運転して出かけるので、駐車場に停車するけれども、車の色や場所を忘れてしまう。運動教室に参加すること自体は良いけど、毎回、帰りに自分の車を探し回るのがとても恥ずかしいのです。
5 競争の要素:
介入をする上で、参加者同士で競争する要素を取り入れるのが、いいかもしれないという話がありました。
6 ソーシャル・サポート:
介入を日常生活にどう取り込んでいくか。私たち専門職でも難しいところだと思います。忙しい仕事をしている中で、例えば、ジムに行って定期的な運動をしようと思う。ジムは職場から8分ほどの距離の近いところにあり、仕事の行き帰りに行ける。けれども、実際にはなかなかジムに通えない。行動変容を維持するには、ソーシャル・サポートがとても重要になります。
7 自発的(主体的)な目標:
何か目標を決めるにしても、それは一律にこちらが決めるのではなく、当事者本人から出てくるものでなければいけません。人にはそれぞれ、これまで生きてきた人生があり、歴史があります。その人たるものをつくっている何かがあり、その中には、変えられないもの、変えるのが難しいものもあるのです。私たちがある当事者に、アルコールの摂取量を減らすことが一番大事だと思っても、ご本人が自分でできると思うことは、運動を増やすことかもしれません。
4)認知症への恐れからではなく、前向きで、より良い健康への希望につなげる

以上の結果から、アップルツリー・プログラムでは、3つのロジックをたてています。

1 自分で目標を立てる:
まず当事者ご本人に自分で目標を決めてもらいます。例えば運動を増やすという目標を掲げたら、具体的なターゲットを選ぶ。これを達成したら金、これは銀、これは銅、と順位を決めてもらいます。
2 全ての人が変容を望むわけではない:
私たちがどれだけ頑張って努力したとしても、全ての人が変容を望んでいるわけではないのです。認知症のリスクが個人でコントロールできる、変えられる部分がかなりある、という考え方が一般的になると、今度は認知症になる人の罪悪感、心配、ストレスを高めることにもなってしまう。ですから、認知症予防のプログラムが社会全体にどういう影響を及ぼすかも考慮しなければいけません。
3 介入が楽しいものであること:
集団で行う介入のときに、それが楽しくなかったら、二度と来ない人が増えてしまうでしょう。私たちがもの忘れ外来で行った介入試験では、食事を変えるという集団介入を行いました。毎回、いろいろな変わったものを食べてみたり、みんなで本当に楽しくやることを心がけました。誰もが食事の内容には自分なりの意見を持っているので、診療場面では聞けない、いろいろな意外な意見が聞けて面白かったです。

対象は32人と小さい試験で予備的な結果ですが、介入群では食事の内容が改善し、運動量も増えて、全般的なQOL(quality of life, 生活の質)の向上がありました(Hassan et al., BJPsych Open 2018)。この食事の例はパイロット研究の1つです。複数のパイロット研究の結果をまとめ、アップルツリーの介入の開発につなげていきたいと思います。

アップルツリーの介入では、10回の集団セッションで、セッションに来られなかった人にはインターネットで内容に追いつくためのサポートも用意します。2年間にわたり、介入群の方が(対照群と比べて)認知機能の低下を送らせる結果につながるか、確認します(Cooper et al., Int J Geriatr Psychiatry 2019)。今までよりも、より広く様々な人たち、特に認知症の発症リスクが高い人を中心に介入を提供できれば、社会全体における認知症予防についての希望が高まっていくと期待しています。4年後に成果がどうだったか、皆さんにお知らせできる予定です。